【裏話満載】知れば知るほど行きたくなる!京大の歴史10選
「京都大学ってどんな大学なの?」──そう聞かれたら、多くの人が「日本屈指の名門」「自由な校風」「ノーベル賞の大学」と答えるでしょう。ですが、実際の京大の歴史をのぞいてみると、ただのお堅い大学ではなく、ユーモアと伝説に満ちた唯一無二の存在であることがわかります。
吉田寮という日本最古の学生寮、入試シーズンに受験生を出迎える折田先生像の仮装、日本初のノーベル賞受賞者を輩出した研究文化。知れば知るほど「京大って面白い!」「ここで学んでみたい」と思わせてくれるエピソードが満載です。
この記事では、京都大学を語る上で外せない歴史と裏話を10のテーマで紹介します。受験生も、歴史好きも、京大ファンも必見の内容です。
創立と「自由の学風」
1897年、京都帝国大学として誕生した京大は、日本で二番目の帝国大学でした。東京大学が国家の中枢を担う人材養成を重視したのに対し、京大はあえて「自由の学風」を掲げ、学問の自主性を大切にしました。これは、時代の中でもかなり型破りな考え方だったのです。
当初は理工系を中心に出発しましたが、「権威に従うのではなく、自分の頭で考え抜く」という姿勢を徹底。教授陣も個性派揃いで、学生に「君はどう考える?」と問い続けました。その結果、少数派でも奇抜でも、自分の意見を堂々と主張する学生が育ちます。この空気は今でも京大に流れており、独創的な研究やユニークな学生文化の源泉となっています。
吉田寮の伝説
京大の象徴のひとつが「吉田寮」。1913年に建てられた日本最古の現役学生寮で、レトロな木造建築が今も現役で使われています。築100年を超えても取り壊されない理由は、単なる建物ではなく「京大の自由と自治の精神」を体現しているからです。
吉田寮には面白い逸話が山ほどあります。かつては学生運動の拠点となり、全国のニュースで取り上げられることもしばしば。寮内は雑多なポスターや手作りの看板で埋め尽くされ、文化祭のような雰囲気を放っています。料理当番を学生が持ち回りで決めたり、掲示板には「本日の献立」と並んで哲学的なメッセージが貼られていたりと、まるで小さな社会そのもの。
近年も「廃寮問題」をめぐって学生と大学本部が対立し、全国的な話題に。映画や小説の舞台にもなった吉田寮は、まさに「京大の生きた伝説」と言えるでしょう。
折田先生像のいたずら
京大の入試といえば、受験生を出迎える「折田彦市先生像」が有名です。初代工学部長の胸像なのですが、毎年のように学生の手によって仮装させられるのです。
そのコスプレのバリエーションがとにかくすごい。アニメキャラや人気映画の主人公、時には社会風刺を込めた造形まで登場します。ある年はマントを羽織ったヒーロー、別の年はピカチュウ、さらには等身大ガンダムに改造されたこともありました。
大学も暗黙の了解で黙認しており、「これぞ京大の自由さ」という象徴になっています。真剣勝負の入試の場に、ちょっとした笑いを提供する折田先生像は、受験生にとって忘れられない思い出になるでしょう。
日本初のノーベル賞
1949年、京大教授の湯川秀樹が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞しました。彼が提唱した「中間子理論」は、原子核の力を説明する画期的な発見でした。
湯川先生は少年時代、本好きで物静かな少年だったといいます。周囲からは目立たない存在でしたが、自分の関心をとことん掘り下げ、やがて世界的な業績へと結びつけました。その姿は「好きなことをとことん追求すれば世界を変えられる」という京大精神そのものです。
湯川先生の受賞以降、京大は「ノーベル賞を生む大学」としての地位を確立。今も多くの受賞者を輩出し、世界に自由な学問の可能性を示し続けています。
学生運動の熱気
1960〜70年代、日本中の大学で学生運動が盛り上がりましたが、京大はその中心地のひとつでした。吉田キャンパスにはバリケードが築かれ、講義棟が占拠されることもありました。当時の写真を見ると、建物の壁一面にスローガンが書き殴られ、学生たちがギターを片手に議論している姿が映し出されています。
京大の学生運動は、単なる反抗心ではなく「大学とは何か」「学問の自由とは何か」を真剣に問い直す営みでした。ある学生は「京大にいる限り、自分の意見を持たないことこそ罪だ」と語っています。こうした熱気は吉田寮を拠点に全国へ広がり、京大を「自由の砦」として位置づけました。
現在のキャンパスは穏やかですが、学内の空気には今もなお「自由と自治を守る」という誇りが漂っています。受験生が京大に憧れる理由のひとつは、この気風にあるのかもしれません。
京都学派と独自の思想
京大は理系の成果だけでなく、人文・社会科学でも独特の存在感を放っています。その象徴が、西田幾多郎を中心とした「京都学派」です。西田は『善の研究』で知られ、禅と西洋哲学を結びつけた新しい思想を打ち立てました。
彼の弟子たち──田辺元、和辻哲郎らも独自の哲学を展開し、日本思想史に大きな足跡を残しました。講義では「自分の存在をどう定義するか」といった問いが投げかけられ、学生たちは頭を抱えながらも熱心に議論しました。海外の研究者からは「京都には独特の哲学的空気がある」と驚かれ、京大は思想面でも世界に知られる存在となったのです。
iPS細胞と現代の革命
2006年、京大の山中伸弥教授がiPS細胞の開発に成功しました。これにより「体の細胞からどんな細胞にも変化できる万能細胞」が可能となり、再生医療の夢が一気に現実味を帯びました。
山中教授には意外なエピソードが多くあります。外科医時代には「手先が不器用で手術が下手」と言われ、研究職に回されました。しかしその挫折が逆に研究者としての情熱を燃え上がらせたのです。発表当初は「本当にそんなことができるのか」と半信半疑だった世界の研究者たちも、やがて成果を認めざるを得なくなりました。
2012年のノーベル賞受賞時には、日本中が歓喜に沸き、京大の時計台はライトアップされて祝福ムードに包まれました。受験生にとっても「失敗しても挑戦を続ければ世界を変えられる」という力強いメッセージとなっています。
時計台とキャンパス文化
京大といえば、吉田キャンパスのシンボル「時計台」。赤レンガに白い時計が映える姿は、学生だけでなく市民や観光客にも親しまれています。卒業式の記念写真スポットとして定番ですが、普段は学生が集まり談笑する憩いの場でもあります。
さらに京大には「掲示板文化」と呼ばれるユニークな習慣があります。キャンパスの至る所に手作りポスターが貼られ、サークルの勧誘や演劇の告知、時には哲学的な一文が並ぶこともあります。学園祭である「11月祭(NF)」も、学生が自由に企画し、カオスともいえる熱気を放ちます。ここにも「自由の学風」が息づいているのです。
国際化と新たな挑戦
21世紀に入り、京大は国際化を急速に進めています。海外拠点を設置し、留学生を積極的に受け入れるだけでなく、英語による授業も増えました。世界大学ランキングでの評価を上げる取り組みも行われ、欧米・アジアの大学との共同研究が盛んになっています。
ただし、京大は「ただ海外に合わせる」のではなく、「京大らしさ」を大切にしながら国際化を進めています。つまり、権威や流行に流されず、自分たちの独自性を保ちながら世界と対話しているのです。
未来へ続く「自由」
京大の歴史を振り返ると、一貫して「自由」がキーワードでした。吉田寮の自治、折田先生像のユーモア、ノーベル賞に輝いた研究、学生運動の熱気。どれも「自分で考え、自分の道を切り拓く」という精神から生まれたものです。
そしてこれからも京大は、新たな挑戦と自由な発想の場であり続けるでしょう。未来の研究者、未来の思想家、そして未来の挑戦者を育む土壌として、京大は進化を続けています。
まとめ
京都大学の歴史は、ただの学問の積み重ねではなく、自由な文化と数々の伝説に彩られてきました。吉田寮、折田先生像、日本初のノーベル賞、そして世界を驚かせたiPS細胞。京大の裏話を知れば知るほど、この大学の奥深さと魅力に引き込まれます。
受験生の皆さんにとっては、「京大に入りたい!」という気持ちがますます強くなるはずです。京都大学はこれからも自由な学風のもと、新しい伝説を生み出していくでしょう。
詳しくはYouTubeチャンネル「教育嬢TV」でもお話ししています。ぜひご覧ください🙇♀️

受験メンタルトレーナー/チャイルドコーチングアドバイザー
地方公立中高一貫校から特色入試(AO入試)で京都大学薬学部に現役合格
中高時代は運動部の活動・個人研究・学業を両立
大学在学中は大手予備校の塾講師として勤務し、受験指導やメンタルサポートの経験を積む
卒業後は母校でアドバイザーとして高校生の指導、地元個人塾でカリキュラム作成、オンラインを中心とした受験コンサルティングも展開中