中卒の自分が人気ラーメン屋の経営者になるまでの経緯

初めまして!
中卒経営者の雄大です。

この記事では、中卒経営者になるまでの軽い経緯をお話しします。

まず自分は沖縄県の那覇市という場所で生まれました。
4人兄弟の次男として生まれ父親と母親は沖縄の自衛隊に勤務しています。
父親は陸上自衛隊で、母親は自衛隊病院の看護婦をしています。
そんな両親に育てられた自分ですが、小さい頃からヤンチャをしていたそうで、小学校一年生の頃から机は先生の横にあり落ち着きがなく同級生や年上の子とよく喧嘩して母親が学校に呼び出されていたそうです。
そんな小学校生活が続き中学校に上がりさらにエスカレートし、タバコやお酒などを覚えます。
中学校にはった時には高校に行かないと決めてたので、同級生の親の工事現場など手伝いをしてバイトもしてました。
まだ若くお金の有り難みや苦労して稼ぐなどの考えがなく14歳からヤクザ事務所などに出入りし楽して稼ぐ事を覚えた自分は内容はかけませんが当時で月40万ほど稼いでました。
そんな中学校生活が続き進路も決まらないまま卒業してしまいますが父親の教えで学生は家で面倒見るが社会人になるなら家を出て自分で生活しなさいといわれていたので家を出て仕事を探し家を探してる時に間違いに気づきます。
ヤクザで盃を交わすと県警察に名前が載ります。
そうすると仕事にも就けず家の契約・携帯の契約・銀行口座の開設もできません。
この時にヤクザは何も出来ないと気付きます。
悪いことをして稼ぐしか方法がないのです。
海のコンテナで寝泊まりをして毎日自由を勘違いして生活していた矢先に人生の転機が訪れます。
自分の姉貴が結婚するということで旦那さんと挨拶に沖縄に来ました。
そこで2日間旦那さんと仲良くなり海に遊びに行くと仕事何してるのと問われて自分は答えられませんでした。
それと同時に人に誇りを持って言える仕事じゃないと思い罪悪感さえ感じました。
嘘をつきフリーターですと答えるとラーメン屋を東京でやらないかと言われ自分はびっくりしました。
こんな自分が普通の仕事に就けるのかとその時に決心しました。
自分はその日の夜にお世話になったヤクザ事務所に辞める事を伝えに行きました。
事務所にお世話になる時から親分には辞めたい時には遠慮なく言ってこいと言われてたこともありスムーズに止めることができました。
兄貴分や親分から祝い金まで頂きみんな堅気になる自分を応援してくれました。
ちなみにこれまで迷惑をかけた親に脱退の報告と祝い金を渡しました。
話が長くなりましたが、1週間が経ち姉貴と旦那さんと東京に行きラーメン屋さんの仕事をします。
初めての接客業に苦戦します。
当時16歳だった自分はお客さんや従業員の人から子供扱いされ自分自身言葉遣いやお客様への気遣いなど分からなかったので年齢との葛藤や初めての仕事でのストレスで逃げ出したい日がありました。
ただこの仕事を辞めたら又裏の悪い仕事をするのを自分自身知っていたので辞めさせてくれた親分や兄貴分の顔を思い出しながら日々反骨精神を胸に仕事に取り組んでいました。
最初の1年はずっと皿洗いや野菜の切り物などで直接お客さんとの関わりがない仕事だったので仕事にやり甲斐など感じない流れ作業でした。
1年過ぎた時に自分の賄いなどを作っていたのでラーメン作りの仕事もやらせてもらえるようになり、お客さんからもお兄ちゃんの作るラーメンが一番うまいと言われ個人のお客さんも増えて仕事の楽しい部分も見えてきましたし仕事に対する責任や会社の方向性など少しずつわかりはじめました。
ラーメン屋さんは傍から見ると楽しそうだし楽に見られがちですが自分の職場は厳しい教え方で従業員が長く働かないので1年と半年働いた時には店長副店長の次に長く働いていました。
その店舗で長く働いてたこともあり営業終わりに店長や副店長と売り上げの話や従業員の人材育成、お客さんへのサービス向上の改善点など話し合い、自分は社員であると同時に従業員へのマネジメントなどの仕事もしていました。
主に営業終わりにご飯に行き従業員から見てどういう店舗であったら働きやすいのか、どういうサービスをしたらお客さんが来店してくれるのかなどの話をしてその課題を従業員みんなでこなしていった結果売り上げが少しずつ上がりその結果従業員も結果が上がったことにより仕事へのやりがいや責任感など芽生え楽しく働ける環境にもなりました。
自分も結果が出たことにより店舗での経営や人材育成従業員へのカウンセリングなどの勉強に興味が出て時間を忘れ没頭しました。
そして当時副店長だった義理の兄貴と仙台に独立して仙台にラーメン屋を出しました。
仙台でも東京で学んだ人材育成や店舗での売り上げの上げ方をもとに経営していき独立1年目で会社を立ち上げ現在で会社設立9年目になります。
今では自分自身役職についてはいるもののフリーランスとして活動しています。
主にさまざまな企業のコンサルタントや物販などの仕事をしています。
以上が自分が経営者になるまでの経緯です。
東京や仙台での売り上げアップの方法や人材育成については後の記事で書きます。

この記事を書いた人
雄大

中学校を卒業し15歳で上京、ラーメン屋に就職。その後17歳で独立しラーメン屋を共同経営。
会社設立後、初年度1年間で店舗売上1800万円を達成し、仙台に2店舗沖縄に1店舗を展開。
現在はラーメン屋をはじめ、アパレル業や接客業、就労支援チームなど様々な業種のコンサルタントとして活躍中。

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Posted by kyoikujo