教育困難校出身の私が京大卒を獲得するまで

初めまして!京大卒キャバ嬢のゆあです。

この記事では私のこれまでについてお話したいと思います。

私は宮城県で生まれ、会社員の父と専業主婦の母に育てられました。

小さい頃からやりたいことをさせてもらえる環境で育ったので公園で遊んだり、ジグソーパズルやロジックパズルが好きで家にいる時はずっとやっていたそうです。

小学校はかなり荒れているところで2年生と4年生の時は授業が進まないか友だちと保健室に遊びに行って授業に参加しない時期が続いていました。喧嘩も多い環境だったのでそのまま地元の中学に進学するのが嫌で公立中高一貫校を受験することを決めました。

塾に1年弱通い倍率10倍の受験に合格したのが勉強を始めるきっかけでした。

中高は部活、勉強、研究活動の3つに力を注いでいました。

陸上部に所属し、朝練から放課後の練習にも全力で取り組んでいました。怪我が原因で上位大会を目指すことは諦めかけていましたが途中で投げ出すのは嫌で高校3年生まで部活は継続していました。

負けず嫌いな性格だったので怪我での挫折をきっかけに勉強で上を目指すことを決意し、部活をしながらも学校のテストでは上位に入ることを目指していました。

高校がスーパーグローバルハイスクールに指定されていたので東南アジアへの海外研修にも参加し、作成した論文やポスター発表の機会をもらい学会にも参加していました。

将来の夢は決まっていませんでしたが震災がきっかけで医療教育、研究に興味があったので医学部を目指していました。

高2までは部活の合間に色んな予備校を下見し、部活を引退してから本格的に予備校に通い始めました。

高校3年生の11月に京大現役合格を優先し、医学部から薬学部に進路変更しましたが今となってはこうして興味のあることに挑戦する時間が確保できて好きなことをしっかり学べたので良かったと思っています。

大学に入学してからは1回生から塾講師のアルバイトを始め、中学生向けの個別指導と高校生に向けた進路指導・面談を行ううちに教育に関する事業を自分で立ち上げたいと思うようになりました。

仕事立ち上げのために学生のうちしかできないことをしながら大学では出会えないような人と交流したいと思い3回生からキャバクラで働き始め、新たな出会いがあっただけでなく人との関わり方や言葉が人の心に与える影響についても学ぶことができました。

このように学ぶことができたのは親の力が1番大きいと考え、子どもが楽しく学びを続けるためにどうしてあげたら良いかという情報を発信することを目的としてこのブログを開設することを決めました。

少しでもお役に立てれば幸いです。

この記事を書いた人
ゆあ

受験メンタルトレーナー/チャイルドコーチングアドバイザー
地方公立中高一貫校から特色入試現役合格で京都大学薬学部に進学。
中高時代は運動部の活動と学業、個人研究を両立。
大学生時代に事業立ち上げ準備の一環として大手予備校で塾講師として勤務。京都祇園のキャバクラに約2年間勤務し月間売上450万円を達成。
その後、地元仙台でキャバクラ勤務をし、月間売上500万円を達成。同時に母校でアドバイザーとして高校生の指導を行っている。

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Posted by kyoikujo