教育と仕事のつながり

早くに学校を卒業して社会にでた雄大が、学生と社会人を経験して中学までの教育の中で働く上で役に立ったことや働く上で必要だと感じた教養についてお話ししたいと思います。

集団行動

私が学校で学んで今でも役に立っていると思うのは集団行動です。

15歳の時、地元で漁師として働き始めたのが初めての仕事でした。当時はまだ子どもで、未経験だったこともあり、かなり緊張していました。従業員は70歳ぐらいの船長とネパール人3人で漁港の人たちと外国の方60人ぐらいと人ぐらいと漁港のコンテナで住み込みで働いていました。仕事としての人間関係を築くために顔を覚えたりコミュニケーションをとったり、ご飯やクラブにも一緒に行くことが多かったです。外国の文化が浸透していたので、名前を書かないと誰のものではないという考え方で、洋服がなくなったりということもありましたが、向こうのスタイルにあわせて信用と絆を深めるようにしていました。そうした関係作りをすることでようやく仕事のことを聞けるようになると考えています。これはラーメン屋さんの仕事をしていた時も同じことを感じていましたが、一番初めに集団の中で行動し人に合わせたり信頼関係を作る場は学校だったと考えています。

必要なな知識

社会に出るまでは足し算引き算も漢字の読み書きもできていなかったわたしですが、一人暮らしをするときにその知識がないと家も借りられず、口座も作ることができず、委任状などの書類を書くこともできないということに気が付きました。携帯も持っていなかったので最初は全部ひらがなで書類の記入をしていましたが、社会人として恥ずかしかったのを覚えています。本は昔から読んでいて、わからなかったら親に聞くという習慣がついていたので、本を読みながら分からなかったら辞書を引いたり先輩に聞きながら漢字の勉強をしました。ラーメン屋になってからは漁師と違い接客業なのでお客さんと話をする機会が増えました。会話の中で日本地図の話題や、四国を全部言えるかと聞かれたときに全く分からなかったこともあり、そこからお風呂場に日本地図を貼り、名産や温泉などを覚えるようにしていました。時計の読み方を覚えたのもラーメン屋で働き始めてからで、買い出しに行く時間を確認するときに携帯で確認をしていた時に先輩から針時計の読み方を教えてもらいました。

武器をつくる

今では自分の武器は人の顔色をうかがうことができるという点だということができますが、初めて仕事するときは武器がありませんでした。仕事のやり方を教わるためにもまずは何かしらの強みやお店から必要とされる部分がなくてはいけないと思い、勤務時間の2時間前には出勤して掃除をしたり、営業が終わってからは切りものなどの練習をしたり、教えてもらい、家でも練習するようにしていました。初めは包丁もこわかったですが、包丁と一緒に寝るように言われ、包丁との距離感や使い方を肌にしみこむように学びました。

勉強をすると夢もでき、さらに学びたくなるという良い循環ができていたと思います。

この記事を書いた人
雄大

中学校を卒業し15歳で上京、ラーメン屋に就職。その後17歳で独立しラーメン屋を共同経営。
会社設立後、初年度1年間で店舗売上1800万円を達成し、仙台に2店舗沖縄に1店舗を展開。
現在はラーメン屋をはじめ、アパレル業や接客業、就労支援チームなど様々な業種のコンサルタントとして活躍中。